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2008年2月18日 (月)

心に響くお話と歌声

作曲家・演奏家 前川裕美さんのトーク&コンサート

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 呉市・『世界人権宣言』呉実行委員会の主催する左図パンフのようなトーク&コンサートを聴きに行きました。

 講師前川裕美さんは網膜色素変性症で「盲導犬とともに歌付き講演会やコンサートを行っている音楽家」という前知識しかなかったのですが、「盲導犬と暮らすってどんなことだろう、」「盲目の人たちにとって、この社会はどのように写っているのだろう」と好奇心は高まっていましたので、期待しながら会場へ向かいました。

 Kagayaitekure002yumi08216con04 舞台に現れた前川裕美さんの印象はとってもしなやかな女性、優しい顔立ちにソフトな声、話し方もはっきりゆっくり、とても優しく、歌声もやわらかく透き通って心の奥まで入り込んでくるような感じでした。

 でも、その外に表れている優しさやわらかさの奥に、多くの困難にもめげずに夢に向かって進む努力を続けた意志の強さ、忍耐強さがあったからこその、今日の彼女であることに、心揺す振られました。

 残念ながら、講演中の撮影・録音は禁止されていたので、パンフレットの前川さんの写真の部分と、開演前の舞台の様子を載せます。

 徐々に視力を失って行く中、音楽家になる夢を諦めず、周囲の反対を押し切って単身アメリカ留学、そのアメリカで、彼女は目の不自由な人に対する健常者の態度が、日本とアメリカで大きく違うことを体験、積極的に社会に出て行く習慣を身に付けられたようです。

 日本では、白杖を持っていても、それに健常者が誤ってつまづいたり、たまには杖を蹴飛ばされたり、ということが多く、せっかく持って出た白杖をカバンに畳み込んであまり使わなかったそうです。何かにぶつかったり躓いて転んだりしたとき、周囲から『危ないと思ったのよ…。』と言うささやきが聞こえることがあるけれども、『危ないと思ったのなら、ぶつかる前に、転ぶ前に伝えて欲しい』と、彼女の切実なそして当然の訴えも聞き流せません。平気で点字ブロックの上で立ち話をしている人がいたり、点字ブロックが自転車やバイクの駐輪でふさがれていたり、日本での外出はとても危ないことが多いそうです。

 ところがアメリカでは白杖を持っていると、周りの人たちがとっても気をつかってくれ、さっと道を開けてくれたり、入り口のドアを開けて『左側を開けていますよ。』などと声を掛けてくれたり、交差点では信号を教えてくれたり『ぼくの肩に摑まりますか?』と言ってくれたり、とても外出が楽しくなったとおっしゃいました。 

 一人ではじめてボストン美術館に出かけられたときのエピソードも印象的でした。彼女は視野が非常に狭く、視力もとても弱いのですが、そのとき開催されていたモネ展をとても見たかったのだそうです。 白杖を持った彼女が絵の前に立ち、一生懸命観ていると、彼女には少し視力があるんだと分かった周囲の人たちが、サッと絵の真正面の場所を彼女のために空けてくれたと言うのです。次の絵に進むとまたその絵の真正面、一番良く見える場所を空けてくれ、そのように、彼女は周囲の人たちの優しい思いやりで、観たかったモネの絵を最後の一枚まで一番良く見える場所で鑑賞なさったそうです。

 私がカリフォルニアで1年間過ごしたのは18年前でしたが、街中で障害者を良く見かけました。車椅子にも日本でよりはるかに頻繁に出会ったものです。日本にも障害者はいっぱいいるはずなのに??なぜ日本では街中であまり見かけないのかな??と、単純な疑問を持ったものでした。

 当時、ミュージカルを見に出かけたことがありましたが、新鮮な驚きだったのは歌詞やせりふをとてもリズミカルに表現してくれる手話通訳の存在でした。特に歌を通訳するときはリズムに合わせ表情たっぷりに手話で歌ってくれるので、演奏の聞こえない人もどんなリズムなのかが分かり、歌をより楽しむことができるなあ、と感心したものでした。それに加えて幕の手前、舞台の上部にはテレビのテロップのように、電光掲示で歌詞やせりふが流れるのです。これには本当に驚かされました。この二重の通訳により、耳の不自由な人もストーリーの筋を追うこともできるし、十分にミュージカルを楽しめるな、と街に障害者の姿が多い理由の一つが分かったような気がしました。再度言います、18年前の話です。

 振り返って今の日本、障害者と健常者が共に生きるという考えは社会に浸透しているでしょうか?彼女は、六年間のアメリカ留学生活の中で、自分が今何をしたいのか、何ができて何ができないのか、今何を手伝って欲しいのかを周囲の人にうまく伝えることを徐々に身に付けていったとおっしゃいました。障害者が共に生きたいと願っても、健常者の側に共生を受け入れる体制ができていなければ、かみ合いません。

 健常者がもっともっと障害者に近づく努力をすること、障害者について学ぶことが必要だと思います。私も街で障害者に出会ったら、これまでよりももっと積極的に声を掛けてみようと思います。収穫大のトーク&コンサートでした。

 

  

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2008年2月16日 (土)

手作りギョウザ

Photo  中国製冷凍ギョウザに農薬混入というショッキングな事件が、台所を預かる主婦の頭上に暗雲のごとくに重くのしかかったままです。

 昨年の世相を表す漢字は『偽(ギ・いつわる・にせ)』、不二家、白い恋人、ミートホープ、赤福等々食品表示偽装が次々発覚しましたね。食品のほかにも年金記録問題、防衛省の汚職問題、テレビ番組捏造問題など、庶民をだます『偽り』は、枚挙にいとまがないほどでした。

 「今年こそ『偽り』のない明るい世相を」そして「今年の漢字はポジティブに明るく」と願って迎えた新年も、やっと1ヶ月という1月末の事件発覚です。そして、今だに原因は解明されておりません。

 行政による徹底した安全対策や、企業のモラル・安全意識の徹底を即刻進めていただきたいのは当然ですが、消費者個人としては何ができるのでしょうか。

 冷凍ギョウザのような加工食品が私達消費者の手に届くには、いったい幾社の企業を経由してくるのか、そしてそれぞれの企業がどのような安全対策をとっているのか、私を含め多くの消費者は普段は余り深く考えることなく、「十分安全である」ことを前提に食卓に並べていると思います。例え気になっても、それぞれの加工食品について全行程をチェックすることは不可能で、信頼して買うより他ありません。

 半世紀前の食生活を思い起こしてみると、当然今日のようなバラエティーはなく、冷凍食品など全くありませんでした。ギョウザ、コロッケ、ハンバーグ、なんでも食材を買ってきて家庭で作っていました。食材の肉や野菜が汚染されていてはどうしようもありませんが、少なくとも、自分の手で選んだ食材を自分で洗ったり匂いをかいで見たりできるのですから、加工冷凍されたものより安全性のチェックは深まります。

 特にギョウザを包んだりコロッケをこねたりする作業は、工作のような楽しさもあり、子供に手伝ってもらったりするととてもよい母子のコミュニケーションチャンスにもなったものでした。材料や作り方を工夫し、我が家ならではのオリジナルなギョウザ・コロッケなどを作ることもできます。

 今回の事件の陰で、『ひと手間かけた家庭の味を作る習慣を取り戻してはいかが?』と私達にささやく声が聞こえるような気がします。たまにはお子さん、お孫さんと一緒に、あるいはご夫婦でギョウザを包んで見ませんか?

 

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